近年のファッション業界を大きく変えた巨大トレンドの1つに、デジタルツインがあります。物理的な商品(アウター、アクセサリーなど)のレプリカをバーチャル空間に作り出すこの技術は、商品開発サイクルのスピードや質を高める手段として人気を集めています。写真とCAD図面を組み合わせて作ったレプリカで、新たなコンセプトを簡単に試せるほか、顧客から直接フィードバックを集めることもできるというのがその理由です。
Coach、Kate Spade New York, and Stuart Weitzmanなどの有名ブランドを擁するTapestryでは、組織全体でデジタルツインに対応することが急務でした。バーチャルレプリカは、デザイン工程に有益であるのみならず、デジタルマーケティングやコンシューマーリサーチのチームにも有用であることがわかっていたからです。
デジタルツインに対するニーズの増大に対応するためにTapestryが導入したのが、Adobe Fireflyです。Fireflyは、安全に商用利用できるクリエイティブ向け生成AIモデルで、自社のアセットを使ってトレーニングできるほか、カスタムモデルの作成にも対応しています。つまり、Fireflyでテキスト形式のプロンプトを入力して何か新しい画像を生成させると、ブランドのアイデンティティに沿った画像が出力されるというわけです。同社がFireflyのカスタムモデルを初めてテストしたところ、驚くべきことが起こりました。店舗の棚に実際にある商品ほぼそのままのデジタルツインが生成されたのです。この結果を受けて、同社ではこの技術が顧客の心に響く商品を考案し、世に送り出すまでの過程に有用であると判断し、デジタルツインを重要な社内サービスとして展開していくことを決めました。
Adobe Fireflyのカスタムモデルを使うと、キャンペーンやブランドのスタイルに沿ったコンテンツを生成することができます。Fireflyはその設計上、なんらかのブランド固有の知的財産権に抵触するアセットが除外されるように厳しくトレーニングされています。そこで、カスタムモデルを使うことにより、Fireflyのモデルを自社の知的財産でトレーニングできるようになっています。
Tapestryは、Coachブランドの既存のハンドバッグの画像を集めたうえで、バッグ、オブジェクト、スタイルのそれぞれに対応したシングルコンセプトのモデルを作るべく、集めた画像をトレーニングに使用しました。これは、有名なハングタグなどのデザイン要素であったり、素材や金物類まわりのニュアンスであったりといった様々な「Coachコード」をAdobe Fireflyに取り込ませるための作業です。既に述べた初回のテストでは、「フワフワの羊毛皮素材でできたTabbyハンドバッグ」 というプロンプトを使用しました(CoachのTabbyバッグとは、同社が2019年に発売したバッグで、同社のハンドバッグのなかでも特に人気の高い商品です)。すると、カスタムモデルを使ったFireflyから、現在市場に出ているTabbyバッグの一種とほぼ同じ外見のバーチャルレプリカが生成され、チームを大いに驚かせました。
Tapestryでは、様々なチームが広くデジタルツインを利用しています。一例を挙げると、フォーカスグループにデジタルツインを見せて、顧客から直接フィードバックを収集し、それを商品に反映するような使い方があります。また、戦略およびグローバルビジュアルエクスペリエンスチームも、ソーシャルメディアでのキャンペーンから店舗内のマーチャンダイジングに至るまで、あらゆる用途のコンテンツにデジタルツインを活用しています。さらに、デジタルツインにデータサイエンスを組み合わせれば、商品の開発、製造、販売に関する意思決定や予測に役立つ知識やインサイトを得ることもできます。カスタムモデルの利用には、品質や一貫性を犠牲にすることなく、飽くなきニーズへの対応力を強化する効果が期待できるのです。
Fireflyのカスタムモデルをロールアウトすることにより、デザイン工程にも新たな機会が生まれることが予想されます。商品デザイナーが生成AIを活用すると、新しいコンセプトを試したり、文化的なトレンドを取り入れたりすることが可能になります。また、カスタムモデルも併用すれば、コアとなるビジョンはそのままに、様々なバリエーションを作成することもできるようになります。アイデアをテキスト形式のプロンプトにして入力するだけで新しい画像が生成され、それを制作の出発点にすることができるのです。この新しい手法なら、イマジネーションの湧き出すままにデザインを進められます。
サポートと変更管理
「TapestryのDPCチームは、デジタルツインの利用を拡大するうえでのボトルネックが、生成AIにより緩和できる可能性があることを認識していました。しかしその一方で、AIに対する姿勢が倫理的な信頼できるパートナーの必要性も感じていました」そう語るのは、Tapestryでデジタル商品開発担当シニアディレクターを務めるJ.J. Camara氏です。「アドビとは長い間取引がありますし、チームがそのデザインツールを愛用している経緯もありました。そのため、Adobe Fireflyで生成されるものなら安心ですし、カスタムモデルを使えば、各ブランドがコンセプトを商品に落とし込むプロセスが劇的に変わるだろうと思ったのです」
生成AIは、急速な進歩を遂げている分野です。そして、様々な業界で生成AIの普及が進むなか、重要性を増してきている要素が変更管理です。Tapestryでは当初から、関係者のニーズばかりでなく、生成AIに関して各人が抱える懸念もしっかり把握するよう慎重に取り組んでいました。集まった意見には、多くの人に知られており、信用できるテクノロジーパートナーを選定することが重要であるといったものがありましたが、いずれも生成AIの導入是非の検討に役立てられました。そのため、(Tabbyハンドバッグに関する)出力の質を確認した後はすぐさま契約締結を決めることができたほか、会社全体に新しいアプローチの普及を進められる状態になっていたのです。
Tapestryは現在、社内の検証を経てFirefly Servicesも利用しています。Firefly Servicesは、大規模法人向けのクリエイティブAPIと生成API、および各種サービスをセットにしたもので、Tapestryでは社内のマーチャンダイジングポータルで使用する画像を作成する際の手作業のステップを自動化するなど、補完的な工程のために導入しています。
アドビは、お客様が商品開発からマーケティングキャンペーンに至るまで、様々な業務に生成AIを活用していることに、絶えず驚きを感じています。生成AIでボトルのカスタムデザイン機能を提供しているGatorade.comや、リブランディングキャンペーンに生成AIを活用したIPG Healthの事例からわかるのは、どの企業も、組織としての業務効率を落とすことなく自社のオーディエンスとつながる新たな方法を模索しているということです。今回ご紹介したTapestryは、デジタルツインの作成方法の刷新や、絶え間なく変化する消費者の嗜好にアジャイルかつレスポンシブに対応できる業務体制のサポートにAIを活用しています。ファッション業界にもAI活用のチャンスがあることを示す先駆的事例と言えるのではないでしょうか。